行政書士寺村事務所のブログ

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新幹線の公衆電話が廃止の話、追伸。僕が、はじめて、新幹線に乗った日がウィキペディアでわかった。

僕がはじめて、東海道新幹線に乗った日がわかった。

 

結論から言えば、昭和44年8月18日(1969年)で、ちょうど僕が、9歳で、普通なら小学校3年生だったのだろう。

 

なんで、その日がわかったかというと、新幹線の公衆電話が廃止された、っていうニュースを聞いて、「あれ、僕がはじめて、新幹線に乗ったのはいつだろう」、って思ったからだ。

 

僕がはじめて、新幹線に乗ったのは、父親に、大阪まで日帰りの旅行に連れて行ってもらったときで、その時にはじめて、新幹線に乗ったことを覚えている。

 

それまで、汽車や、気動車には乗ったことがあるけど、電車、しかも新幹線に乗ったのがはじめてで、その時に、窓から見える景色が、ものすごく速いスピードで移動することを、はじめて感じて、感動したことを覚えているし、カーブにおいては、自分では、普通にまっすぐに座っているのに、新幹線がカーブでかなり傾いていたんだろう。窓の外の景色が、めちゃくちゃ傾いていたことを鮮明に覚えている。

 

で、なんで、昭和44年8月18日だってわかったかというと、その日帰り大阪旅行は、父親に、伊丹空港に連れて行ってもらって、はじめて、飛行機をみたこと。

 

そして、その後に、甲子園で高校野球の決勝戦が行われていて、その日は、青森の三沢高校と、愛媛の松山商業との決勝戦を観戦させてもらったことだ。

 

このときが、はじめて、甲子園に行ったこともあり、とてもよく覚えている。

 

確か、イニング、4回か5回終了くらいから、観戦したんだけど、9回裏まで観て、延長戦に入ったので、父親の判断により、家に帰るという判断で、甲子園をあとにした、ってことを、鮮明に覚えている。

 

その後、帰りも新幹線に乗り、自宅に帰り、テレビをつけたら、「わ!さっき、観ていた決勝戦!まだ、やってる!」ってビックリしたことも、鮮明に覚えている。

 

この決勝戦は、延長18回。0対0で、引き分け再試合、ってことになったことで、甲子園大会でも、名試合のひとつを、自分の目で観られたことに対しては、当時の父親には感謝の気持ちがあるわ。

 

そういえば、最近、どうだろう。もう3年くらいは新幹線に乗っていないんじゃないかなあ。

 

大阪までならば、新快速で行けば、新幹線とあまり変わらないしね。

 

特に、僕は彦根だし、今の最寄り駅は、南彦根駅なので、新幹線に乗るためには、いったん米原までバックして、それから、新大阪に向かうとなれば、その時間ロスを考えれば、結果的には、大阪まで、新快速か、あるいは、各駅を使っても、そう時間がかわるわけではないので、新幹線を使う、ってことがほとんどなくなったっていう事実もあるんだけどね。

 

仮に新幹線を使って、米原から新大阪まで使ったとして、40分くらいだっけ。だから、トイレに行くこともなく、席に座って、ちょいとばかりスマホをさわっていたら、いつの間にか到着だということで、席を外すこともないのが現実だね。

 

でも、新幹線は好きなので乗りたいし、来月、北海道へ行くのに、関空まで行くので、いまだに自動車で行くのか、電車で行くのかを決めてはいないのだけど、なんか、新幹線に乗ってみたいな、っていう気持ちもあるし、どうしようかなあ、って考えるのも、また楽し、って感じです。

 

#新幹線

#公衆電話