行政書士寺村事務所のブログ

滋賀県彦根市の行政書士寺村事務所です。自動車関連のお仕事や、相続関連のお仕事、また、家系図の作成もやっております。どんなことでもかまいませんので、どうぞ、お気軽にご相談ください。

積水ハウスの女子高生がベースを買うCMは好感度高いよな

https://www.youtube.com/watch?v=f0WSPavA_zc

 

この積水ハウスのコマーシャル。ハマオカモトのおとぼけ的な対応もあって、あと、女子高生の対応がとても新鮮で、とても好感度が高いCMだと思う。

 

特に女子高生がベースを格安の1,000円で購入。ハマオカモトから、ピックまでおまけでつけてもらって、家に帰るまでの時間と、自分の部屋でベースを弾いて満喫している姿がとてもいい感じのCMになっている。

 

まあ、これで、じゃあ、積水ハウスの家を建てようか、とはならないけれど、CM好感度大将があるとすれば、案外いいところまで行くんじゃないか、って勝手に思っています。

 

特に、女子高生がベースを購入後に家に帰るまでのバスの中や、弟と思われる人と合流するところは、みていて、とても気持ちのいいものです。

 

ベースは、僕も、どうだろう3年くらいの経験がありますが、今でも、やっぱりベースの魅力ってのは、心の中に持ち合わせていますし、余裕があれば、また、ベースを弾いてみたいと思っています。

その中での、このCM。いい感じだなあ、って思っているのは僕だけじゃないんだろうな。

羽生善治先生の最多勝タイの記録達成に関して

今日は、羽生善治先生が、プロ通算、1433勝という、これまでの最多勝記録に並びました。

 

羽生善治先生の永遠のファンであり、これからも活躍を期待する中で、ひとつの通過点を迎えられたということでしょうか。

 

近いうちに、記録の更新ということになるのでしょう。

 

今回、この記録のすごさってのは、まあ、どこかで記事になっているでしょうから、あえて僕がどうだこうだと言ってもしかたのないことで、まあ、その時が来たら、それはそれで、おめでとうございます、ってことです。

 

わたしが、言いたいのは、この記録をこれまで持ち続けていた、大山康晴十五世名人が、この記録を達成したのが、大山先生が亡くなる1か月前の69歳3か月の時だったということです。

 

羽生先生は、48歳という年齢だから、今後もこの記録はどんどんと伸ばしていかれるでしょう。

 

一方、大山先生は、この1433勝という記録を達成する、69歳までにどのような将棋をさされたのか、というのはたいへん興味があります。

 

大山先生と羽生先生は、実際に、対戦をしておられます。YouTubeで残っているのは、NHK杯で、羽生5段が大山先生に勝ったというくらいのことしか知りませんし、リアルで見たことがないので、仮に、羽生先生が勝ったという記録が残っていたとしても、かなり老いの段階に入っていた大山先生との対戦ですから、どちらが強いか、なんてことは誰にもわかりませんし、また、その論議も無意味なことだと思います。

 

今現在の状況で言えば、例えば、羽生先生が7冠を取った20代後半のときと、現在、破竹の勢いでテレビの露出量が多い、藤井聡太七段とが、仮に対戦したらどちらが勝つだろうか、ってことと同じような感覚ではないかと思います。

 

大山先生と羽生先生、そして、羽生先生と藤井聡太七段。

 

年齢的に違いがありすぎて、いずれも、いちばんいいときに対戦したら、どちらが強いか、なんて、やぼな思いをしがちですが、それは、誰にも検証はできませんので、現段階で、どちらが勝っても、じゃあ、勝った方が強いっていう図式は成り立たないわけです。

 

大山先生が、亡くなる1ヶ月まえに達成した69歳という年齢であるからこそ、今日の、羽生先生のインタビューでもあったように、「少しでも、大山先生に近づければ」という答えになったのだと思います。

 

将棋ネタですので、わからない人には、なんの話かわからん、ってことかもしれませんが、まず、羽生先生の記録はすごい。そして、記録保持者であった、大山先生もすごい。そして、今後、活躍するであろう、藤井聡太七段もすごい、ってことくらいしか言えないということです。

 

誰が、いちばん強いか、ってのは、タイムマシンが開発されてから、考えましょう。

睡眠時無呼吸症候群検査キットによる検査を実施した件

前から言っていた、睡眠時無呼吸症候群検査に関しては、もう報告したかと思っていたら、まだだったので、遅くなりましたが、ご報告します。

 

月曜日の朝、9時過ぎに、ヤマト運輸の宅急便にて新潟の帝人なんとかさんから検査キットが届きました。

 

中身を見る限りは、特別な難しいことはなく、鼻の二つの穴に、パイプで空気を送るようなパイプセットと、あと、左手の人差し指にセンサーをあてて、たぶん、脈拍と、酸素量を測るっていう感じで、マジックテープで、左手の腕にまくセンサーに、鼻につながったパイプをつなぐというものです。

 

月曜日の朝に届いて、その日の夜、つまり、月曜日の夜から、火曜日の朝にかけて、検査をしました。

 

なんか、寝る時間が遅くなってしまって、実際にスイッチを入れたのは、火曜日の午前1時くらいになってしまいました。

 

左手の人差し指のセンサーははずれちゃだめだと思い、しっかりとテープを巻きました。

 

ただ、鼻へのセンサー(鼻の息を読み取るもの)は、本当は、頬にテープをつけなきゃだめだったんだけど、それを忘れていて、首の下で固定するような締まるものがあって、これで大丈夫だと思って、頬にテープを巻かなかったので、それは失敗だったなと思いました。

 

で、実際の検査ですが、夜の1時過ぎにベッドにはいり、その日は、いつも音楽を聴きながらねるのですが、その日は、音楽も聴かず、早く寝られるように頑張りました。

 

違和感という意味で言えば、確かに、少しは、違和感はありましたが、それほどでもないかな、って思った記憶があります。

 

夜中の2時か3時かに、一度、目が覚めて、鼻にちゃんとセンサーがついているかと確かめたところ、テープを貼っていなかったにもかかわらず、ちゃんと鼻の穴の部分にパイプがあったことを確認しています。

 

そして、火曜日の朝。目が覚めたのは、5時半くらいだったでしょうか。でも、まだ、眠いので、鼻にパイプがあることを確認して、再度、2度寝。

 

結局、7時半だったか、8時だったかに、布団から起き上がったのですが、機械本体は、ちゃんと脈拍を売っていて、まず、左手の人差し指のセンサーは問題なさそう。

 

あと、肝心の鼻の穴の部分についても、テープを貼り忘れたとはいえ、ちゃんと鼻の穴にセットされていたので、おそらくではありますけれど、ちゃんと、検査ができたのだと思います。

 

検査時間は3時間ということなので、たぶん、寝るまでの30分くらい以降の2時間半くらいの正確なデータが記録されているものだと思います。

 

早速、火曜日に、宅急便の着払いにて、新潟の帝人なんとかさんに返却、っていうかデータの送信を行いました。

 

本日の、12時7分に新潟に到着したことを確認しています。

 

結果自体は、ここ数日で判明するのでしょうが、その結果を心療内科のクリニックで聞くことになっているので、わかるのは、6月14日の心療内科クリニックでの報告となります。

 

さあ、どういう結果がでるのでしょうか。

 

ちゃんと検査ができているのでしょうか。

 

もし、無呼吸が重症だった場合は、次にどのような方策があるのでしょうか。

 

いずれにしても、あとは、専門家に任せるしかありません。

 

ただ、ずうっと前から、悩みのひとつであったイビキ問題と睡眠時無呼吸症候群において、改善がはかれるなら、少しくらいのお金はだしてもいいので、積極的に進めていくつもりです。

 

なんか、長年の心のなかの悩みが、ひとつ、まあ結果はどうであれ、解決の方向になると考えれば、それはとてもわたしにとっては、相当なうれしいことであることに間違いがありません。

 

まずは、結果を待ち、その後の治療法をどうするか。これからが楽しみです。

糖尿病の治療をしているものの、やっぱり、若い医師だし、そのあたりは、心療内科の先生のおかげっていうか、やっぱり、経験豊富な医師のほうがいいという件

何度も書いている、睡眠時無呼吸症候群検査の件。

 

血圧が、朝が高く、夜は低い。

 

彦根市立病院の糖尿病内科では、薬を中心に、その解決策を探っていただいているので、それはそれで文句はない。

 

ただ、それとは別に、心療内科の先生にかかっていて、その話をしたところ、「睡眠時無呼吸症候群」かもしれないね、ってことで、今回、そのクリニックのおかげで、睡眠時無呼吸症候群検査ができた。

 

今後、どういう結果がでるかはわからないけれど、医者って、まるで、なんでも知っている神様みたいな感覚をお持ちのかたもあると思いますが、医者もピンからキリまであります。

 

プロ野球選手になったとして、ヒットを年間200本打つ人もあれば、何年も2軍生活をおくり、年齢がきて引退になる選手もいます。

 

プロ野球選手は、その成績で左右されるのですが、医者は、いったん医師免許を取ってしまえば、その後、その先生が、仮に、どうしようもなくだめな医者であっても、あるいは、全国各地から、その先生を頼って、診察を受ける医者もいます。

 

ただ、僕たちは無知です。医者=なんでも知っている=医者の言うことに間違いはない、という理論に陥ってはいないでしょうか。

 

医者のなかでも、例えば、プロ野球選手でいえば、ヒットを何本も打つ人であっても、2軍で出場機会もないひとも、医者というランク付けで言えば、医者は医者であることに違いはありません。

 

しかも、医者は、その成績が仮に悪くても(っていってもなにをもって悪いという判断をするかってことですが)、医者の免許を剥奪されることはありません

 

つまり、医者は、一度、医師免許をとってしまえば、それこそ神であり続けるのです。

 

もっとはっきり言えば、貧乏人は、そのどうしようもない医者のいうことを頼ることしか方法がなく、他の、医者にセカンドオピニオンを受けることはありません。

 

一方、お金持ちは、セカンド、サード、フォースオピニオンを受け、治らないと思っていた病気が、なぜか、治ってしまうっていうことが現実に発生しています。

 

結局言いたいことは、人間の人生は、金しだいだということです。

 

貧乏人は、安い市立病院の若い医師の判断を受け入れ、お金持ちは、同じく、安い市立病院にはいくものの、それに納得できずに、次から次へと、よりよい方法を選択できる可能性をさがすのです。

 

結果的に、金持ちは長生きし、貧乏人は、早く死ぬってことになります。

 

これは、なんにも皮肉をいっているわけではありません。

 

現実がそうだということです。

 

いろんな災害があっても貧乏人とお金持ちでは、その差がはっきりと出ます。

 

それは資本主義経済下においては、どうしようもないことです。

 

それをよしとしないのであれば、金持ちも、貧乏人も、等しく恩恵を受けられる国(そんな国があるのかどうかもわかりませんが)に移り住むしかありません。

 

まあ、そんなことはできないのが普通なので、結局、何度も言うようですが、貧乏人は、早く死ぬ。金持ちは、長生きする、っていう事実があることをみんながその事実を共有して欲しいと思うだけです。

トランプ大統領、どんだけ力あるんかいな。ファーウェイ製のスマートフォンにAndroid供給停止に。トランプはGoogleまでも動かすのか!

アメリカと中国の貿易摩擦は、ますます激しくなるばかり。

 

昨日今日のニュースで、トップの記事は、アメリGoogleが、ファーウェイ製品への主要なソフトウェアの提供を停止する、ってことだよね。

 

早速、日本の各キャリアも反応し、ドコモ、auソフトバンクとも、ファーウェイ製品の新規予約を延期するなど、日本でもかなりの影響がでていることだと思います。

 

実際に、今、ファーウェイ製品を持っている人は、YouTubeも見られないとか、GooglePlayも使えないって状況になっているのかどうかはわからないけれど、もし、そんなことが起こったら、ファーウェイ製品所有者は、もはや、どうすることもできないのと同時に、ファーウェイという会社の存続に関わる大問題であることは確かです。

 

どうも、トランプ大統領は本気らしいので、さすがの習近平さんも、こりゃあ、まずいかあ、って思っているんだろうと思います。

 

結局は、維持の張り合いで、なんとかなると思っていた中国が、アメリカのこの対応策には、さすがに、これは参った。ごめんなさい、ってあやまるしかないのではないか、って思っているのは僕だけでしょうか。

 

まあ、中国も中国で、そうは問屋が卸さないってことで、実際に、問屋さんから、各店舗にファーウェイ製品が入ってこなくなれば、それは中国にとっても大問題であり、なんだかんだで、アメリカ、っていうか、アップルとかGoogleとかにたよっていたわけだから、それを閉ざされたら、そのまま、放置するわけにはいかないので、なんとか、解決方法を探るのだろうとは思います。

 

今では考えられないことですが、例えば、ソニーや、シャープのスマホ、そう、Androidスマホが、めちゃくちゃ売れていて、それが世界のメイン機種になっていたとしたら、トランプ大統領は、ソニーやシャープのスマホGoogleを使わせないってことになるのでしょう。

 

もし、そんなことになったら、やっぱり、上様には逆らえないってことがわかって、「ははー」って頭を下げて、上様のおっしゃるとおりに、ってことになるでしょう。

 

アメリカは、アップルにしてもGoogleにしても、基本的なところで力を持っていて、日本は、そのあたりの基本ソフトウェアの開発におろそかになり、いつのまにか、ガラパゴス化してしまい、もはや、アメリカ様に頭が上がらない状態になっています。

 

アメリカ様が中心に世の中が回ることは、世界中の経済にとって、いいことだとは思しし、その恩恵を、すこしばかり日本国もいただければ、アメリカ様様、ってことになるでしょう。

 

今、テレビで、白い巨塔ってやっているけど、いずれにしても、巨頭を怒らしちゃだめだよな。

 

下っ端は、下っ端らしく、上様のご指示に従わなきゃあ!

天皇のお世継ぎ問題。女性天皇と女系天皇がごちゃまぜにされ、それが男女差別だということまで言われることに対して。

ニュースの中で、女性天皇、あるいは女系天皇を認めてもいいのでは、という比率が半分以上あるらしい。

 

まあ、今の時代だから、ということであれば、そういう比率での回答がでるのも、まあ、普通かなとも思えるけれども、ここで言いたいのは、女性天皇女系天皇とでは、まるで、意味が違うということがわかっていて、そういう答えがでているのかどうか、ってことです。

 

天皇制自体の賛否については、いろいろとご意見もあるのだと思いますが、日本の長い歴史の中で、天皇というものが、他の国にはない、貴重な相続関係で続いていることを考えれば、天皇制自体を否定するわけではありません。

 

太平洋戦争による敗戦後、日本における天皇の存在をどうするか、っていうことで、だいぶんアメリカ政府内でも論議があったと思いますが、どういう理由で天皇制が維持されたのかはいろいろな説がありますが、まあ、続いたということであれば、それを継続してもいいのかな、とは思います。

 

ただ、前述、女性天皇女系天皇はどうなんだ、っていう話と、歴史的事実という問題と、男女差別の問題という意味においては、女性天皇女系天皇がごちゃまぜにされ、どうして、女だから天皇になれないの?おかしいのでは?とか、いう世論があるのも事実です。

 

ちなみに分かっている人は分かっているのですが、過去において、女性天皇は何人かは存在した事実があります。

 

よく知る名前では、推古天皇とか、持統天皇ってところが、けっこう歴史の教科書にもでてくるわけで、その名前くらいは聞いたことがある、っていう人も多いのではないでしょうか。

 

なお、これらは女性天皇、もっと詳細に言えば、男系の女性天皇であり、女系天皇ではありません。

 

今現在の天皇の長女である、愛子さまも、男系の女性であり、もし、愛子さま天皇になったとすれば、これは、男系の女性天皇ということになります。

 

愛子さま天皇にしてもいいのではないか、天皇の直系の子供でもあるし、ということであれば、これは、そうなってもいいのではないか、とは思います。

 

これにより、これまで継続されてきた、天皇制が維持できると考えるからです。

 

ただし、この愛子さまが、もし、誰かと婚姻をされ、その子供が、仮に男子だったとして、その子供が仮に天皇になった場合は、女系の男子天皇となり、これまで継続された、男系天皇という図式からは、完全に、まったく違う天皇ということになります。

 

イギリスのように、男子、女子、関係なく、早く生まれたほうが皇位継承順位が高いということにしちゃえば、ってことを国民が納得しるのであれば、それは、それでいいのかもしれません。

 

ただし、そうなったときに、じゃあ、今まで続いていた天皇制の意義はどこにあるのか、っていう大きな問題が発生します。

 

仮に、愛子さまが、秋篠宮家の長男、悠仁さまが天皇になるまでのつなぎ、ということであれば、それはそれでいいのでしょうが、その二人に、あまり年齢的にも、それほど差がないことを考えれば、まあ、普通に考えれば、今の天皇が亡くなった後、果たして、その時に秋篠宮さまがご存命がどうかもわかりませんし、仮になったとしても、かなりご高齢での天皇ということになります。

 

だから、普通に考えれば、悠仁さまが、今の天皇の次に天皇になるってことが、一般的な考えです。

 

しかし、その後がどうなるのか、ということが問題なのです。

 

仮に、悠仁さまが婚姻されて、何人もの男の子が産まれれば、問題はかなり少なくなると考えていいのですが、どうも今の天皇家ってのは、なぜか、女の子ばかりが産まれるっていう図式が成り立っていて、悠仁さまの子供が、絶対的に男子が生まれる可能性は半々、50%ということになりますし、場合によっては子供自体が生まれない可能性だってありますから、悠仁さまの子供で、男子が産まれる可能性は、20%程度といっていいのではないかと思います。

 

でもって、じゃあ、この際だから、って愛子さまが婚姻しても皇室に居残り、その子供を天皇にしちゃう、なんてことがあるかもしれません。

 

もし、そうなった場合に、女性天皇でなく、女系天皇になった場合に、果たして、天皇制は維持できるのかどうかというと、かなり疑問が残ります。

 

男系男子が基本、特に、男系、というものに対しては、かたくなに守られ続けたからこそ、今の天皇に対して、愛着があるのではないでしょうか。

 

もし、女系天皇にしてしまったら、過去からの相続関係のなかで、はじめてのことになり、そうなっても、日本国民は、天皇陛下バンサーイってことになるのでしょうか。

 

たぶん、そうにはならないでしょう。つまりは天皇制が維持できなくなると推測されます。

 

これは、重大な問題なんです。ただ単に、女性が天皇になってもいいじゃないか、っていう女性差別反対論者が論じる問題ではなく、日本の歴史というものにかかっているのです。

 

まあ、今後、どうなるかはわかりませんし、僕も生きているかどうかもわかりません。

 

まあ、その時に、国民が、どういう判断を示すのか、その結果がどうなるのか。

 

その結果を知る前に、たぶん死んじゃってしまうし、まあ、どうでもいい話ということでもあるんですけどね。

リサイクルショップの倒産が相次いでいるという。まあ、当然やろ。ネットで売れば、3万の値がつくのを5千円でしか買わないのだから。

リサイクルショップの倒産が増えているらしいね。

 

まあ、ネットの世界がこれだけ発達した状態において、わざわざ、リサイクルショップで、お金に換えようとする人は、よっぽど、今日、お金がいる人か、ネットをやっていない人くらいしかいないだろうし。

 

ネットでのフリマ的アプリがない時代は、それなりに流行っていたのではないかとは思うけど、例えば、フリマアプリで、2.5万円平均で売れていて、場合によっては、3万円くらいの値で売れるものがあれば、仮に、1割の手数料や送料をはらっても、2万以上の利益を得られることになる。

 

それが、リサイクルショップで査定を受けたら、わずか、5千円だった、ってことになれば、誰が、そんな所に売るか、ってことになるわな。

 

どうしても、今日、5千円が必要だってことであれば、それもあるかもわからないこともないし、あるいは、ネット相場を知らない人にとっては、手っ取り早い換金方法として、まだ、数年は持つのかもしれない。

 

だけど、品物を仮に安い値で買い上げたとしても、それを、土地値段の高いお店で、保管して、売り出すとなれば、店員さんの給料や、土地所有の負担分を考えれば、結局は、そういう相場でしか、買えないし、逆に、それなりの価格でないと売れないし、そうなってくると、高く売れて、安く手に入るネットフリマのほうが、得だということは、だれでもわかることで、まあ、それでも、現存しているリサイクルショップは、もはや、閉店を待つだけっていっていいのかな、とは思います。

 

リサイクルショップも、いまさら、お店で売るっていう商売を続けることの限界を感じておられるとは思うのですが、それでも、現段階では、それなりの客もいるから、やってます。ってことで、そのうち、採算が合わなければ、やめます、ってところでしょう。

 

実は、僕は、よく、リサイクルショップには行きます。

 

買うことはありませんが、どんな商品が、どれくらいの価格で売られているのかな、っていうのは、とても興味があります。

 

実際に売られている価格は、ネット相場の、2倍から3倍くらいって感じでしょうか。

 

それでも実際に売っているということは、需要があるから売っているわけで、まったく売れなければ、わざわざ、たかいショバ代払って、売ることはないでしょうからね。

 

前は、コンピュータのパーツなんかでも、わざわざ大阪の日本橋や、名古屋の大須に行ったりと、少しでも安いから。あと、そこへいかなくては、ものがないから、ってことで、高速料金やガソリン代を払ってでも行ったものですが、今や、ネットで、一番安いところが即座に出て、あと、ポイントとかを含めて、どこがいちばん安いかを検討できる時代です。

 

お年寄りや、ネット難民のなかには、地元の量販店で、高い家電製品を買う人もまだいるから、なんとか成り立っているのでしょうが、まあ、どうでしょう。

 

あと、5年かな。持つのは。いずれ、近くの家電量販店は、だんだんと、なくなっていくものだとは思います。

 

ただ、そんな中で、例えば、食事を売りとするお店。これは、さすがにネットでは買えないわけですから、実際にお店に行って、飯を食ったり、お酒を飲んだりっていう商売は、これからも残るのかな、とは思います。

 

でも、この食事、お酒を提供する商売も、なかなかたいへんそうで、いろんなクーポンを出して、ネット民にも来て欲しい、っていう気持ちがひしひしと感じます。

 

家電量販店の役目は、実際に買うものの実際の手触りとかを確かめるだけのもので、家電量販店で、確かめた後、家へ帰って、いちばん安いお店にネット注文。

 

そして、翌日には、宅配便で自宅に到着。

 

こうなれば、もはや、家電量販店の意味もないわけですが、やはり、実際に手に取れるのは家電量販店しかないわけで、そのことを考えると、家電量販店、残って欲しい、という、あまりにきたない気持ちでそういう気持ちになっていることを反省しながら、なんとか、頑張ってもほしいな、って勝手に感じるところなのです。