行政書士寺村事務所のブログ

滋賀県彦根市の行政書士寺村事務所です。自動車関連のお仕事や、相続関連のお仕事、また、家系図の作成もやっております。どんなことでもかまいませんので、どうぞ、お気軽にご相談ください。

31日は、石巻市と、南三陸町へ行きました。

東北旅行の二日目。

 

仙台市内のホテルを、朝、8時半に出発。近くのタイムズレンタカーまで徒歩、5分。

 

今日のレンタカーもマツダデミオでしたが、昨日とは違う自動車でした。

 

早速、両面テープで、スマホダッシュボードに取り付け、Googleマップで行き先を決定。

 

まず、石巻市の南浜町という場所がどうなっているか、出発しました。

 

Googleマップでは、このような感じなので、おおよそ1年から2年ほど前はこのような状態だったようです。

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ここへたどり着くまでに、大きな道路から、この地区に入ろうとすると、いたるところで、通行止めや、工事関係車両のみ入れる道路ばかり。

 

実際に、まちの中に入れたことは入れましたが、ここは、すさまじい勢いで工事が進んでいます。

 

もはや、上の写真のような建物跡はほとんどなく、全体的にかさ上げがされているとともに、海岸沿いに背の高い防潮堤防の工事が進んでいました。

 

現地で、工事車両の通る中、一部だけ、建物が建っていたと思われるところがありましたので、工事関係車両の邪魔にならないように注意しながら、少しばかり写真をとりました。

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工事用道路なので、舗装はしてありません。

 

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全体でかさ上げらしい工事が進んでいます。

 

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一部に、建物の土台部分が残っています。

 

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周りは、多くの工事車両とクレーンがあります。

昨日の、浪江町よりかは、はるかに早いスピードで復興工事が進んでいるような感じを受けました。

 

やはり放射能の影響がないところは、工事がしやすいのでしょうか。そのあたりはわかりません。

 

次に、南三陸町へ向かいます。

 

南三陸町へ行くまでの道路は、山道が多く、基本的に高い場所なので、津波の影響はまったくありません。

 

ただ、気がついたことがありました。とにかく、工事用車両。具体的には、ダンプカーが異常に多い。

 

だから、舗装道路は、常に砂っぽく、白くなっていたこと。そして、いくつかの山で、土を採掘する作業が進んでいました。

 

これは、あくまで予想の域を超えませんが、おそらく、防潮堤防を作ったり、住宅地のかさ上げしたりするには、ものすごく多量の土が必要で、そのために、山を削って、土をダンプカーに乗せて、工事現場まで運んでいるのだと思いました。

 

山をいくつか越えて、しばらくすると、南三陸町の海岸が見えると同時に、多くのクレーンや工事現場が見えてきました。

 

南三陸町へ行きたかったのは、南三陸町防災庁舎が残っているので、それを見に行こうという魂胆があったからです。

 

被災直後の、防災庁舎は、次の写真です。

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3月11日の津波が到達する前に、町の職員さんが、津波が来ていることを放送で伝え続けましたが、結果的に、その職員さんも津波にのまれて命を落とされたようです。

 

たぶんですが、今まで経験したことのないような津波の高さですから、まさか、この高さまで津波が到達するなんて、まったく思いもしないまま、どうしようもなく、流されてしまったんでしょうね。

 

現在の防災庁舎の写真が次のとおりです。

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かさ上げされた高台からの防災庁舎です。3階部分しか見えません。

 

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保存が決定されていることもあり、写真ではわかりにくいですが、残った鉄骨には、きれいな赤色の化粧がされています。

 

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手前は、太平洋へ流れ出す川の防潮堤防です。

 

この写真を撮った場所は、南三陸さんさん商店街という場所で、最初は、道の駅かと思いましたが、そうではなくて、もともとあった商店街を約10mかさ上げし、そこに新しい商店街としてオープンしているそうです。

 

やはり、この南三陸町防災庁舎を見たいという人も多いのか、平日にもかかわらず、駐車場は、おおよそ8割は埋まっていました。

 

将来的には、この見えている堤防の奥に、防災庁舎を震災遺稿として残し、周辺を公園にするということで、盛んに工事が進んでいました。

 

悲しい悲劇から、今、新たな生活が、やっとのこと、はじまったんだ、って感じました。この地区に住んでいる人たちには、本当に頑張って欲しいです。

 

南三陸町をあとに、午後3時に、レンタカーの期限が切れるので、仙台空港へ向かいました。

 

仙台空港へ向かう途中、塩竈市多賀城市を通り、仙台市を抜けて、国道か県道かわからないけど、10号線を空港方面へ向かう途中、ここでも、巨大な防潮堤防の工事がさかんに行われています。

 

防潮堤防と防潮堤防のすき間。おそらく川が流れ出す一部においては、ゲート式の堤防になるので、堤防自体はなく、そのすき間から太平洋を少し見られるのですが、海岸沿いにもともと松林があったのでしょうか。

 

20~30mおきに、ぽつんぽつんと、松の木が1本、また、1本と残っている姿を見ると、あー、本当にたいへんな津波だったんだな、ってことがわかりました。

 

この二日間。福島、浪江町と宮城、石巻市南三陸町を回りましたが、確かに、工事は進んでいるとはいえ、まだまだ、道半ばという感じでした。

 

おそらく、すべての工事が完了するまでには、たぶん、10年、いやもっとかかるのかもわかりません。

 

今回の津波は、いったい何年に一度の津波だったのでしょうね。

 

500年に一度なのか、1000年に一度なのか、はたまた、人口がまだ少ない江戸時代にも同じような津波があったのか。

 

当時と今では、人口集中が全然違いますし、明確な記録も無いため、わかりません。

 

もし、1000年に一度のために、どれだけお金と時間がかかる工事を、すべて国民の税金でやることに、どれだけ、費用対効果があるのか、っていうことはわかりません。

 

住み慣れた地元といっても、せいぜい、ここ200年程度のことでしょう。

 

いっそのこと、津波が来ても、大丈夫な高台に、集団移転して、津波が来たら、すぐに、高台に登れるような道路整備をして、あえて、防潮堤防を作らない。かさ上げ工事をしない、つまり、この土地を捨てる、っていう選択肢もあるのではないかと思います。

 

まあ、将来、いつ起こるかわからない、例えば、1000年、あるいは、2000年先に起こることのために、これほどのことをしなければならないのか、もう少し、考えてもいいのではないか、と思いますが、この考え方をする人は少ないでしょうね。

 

この二日間の東北旅行を終えて、物珍しさの物見遊山的に行こうという人には、もはや、ほとんど、それらは見られません。

 

あるとすれば、そこには巨大な工事現場とダンプカーだということです。

 

でも、今回、行って良かった、とは思っています。実際にここでおこった悲しい事実を確認することはできましたし、現状がどうなっているのかを、自分の目で確かめることができました。

 

短い、二日間でしたが、とても有意義な二日間だったと思っています。