よくある話だけど、今日も、JR湖西線で、一人の命が失われた。
よっぽどの理由があったんだろう。その人が、男性か女性か、年齢も若いのか、そこそこの年齢を重ねているのかわからないけれど、悲しい事実であることは間違いない。
また、その処理にあたった、JRや、警察、救急の関係者にとっても、その処理にあたり、かなりの心理的苦痛があったろうだから、その気持ちを思うと、やりきれない気持ちではある。
以上は、たぶん、病気ではなく、お金だったり、仕事だったり、学校だったり、友達関係であったり、職場の関係であったりと、その理由はわからないけれど、これらの方が、自死を選択することは、もはや、それを阻止することは不可能だろう。
どれだけ国や役所が努力しても、その人の問題解決にはいたらず、結果的に、線路にとどまることを選択するしか方法がなかったのだろう。
いろんな解決法があったのではないかとは思うけど、もはや、その人には、それ以外に手段がなかったってことだろうか。
悲しい事件ではあるけれど、それはそれで仕方のないことだと思う。せいぜい、相続人が、金銭的な負担を強いることがないように祈るばかりだ。
で、この問題に対して、積極的安楽死を導入しましょう、っていうことを言っているわけではない。
以上の話は、おそらく病気での自死ではないだろうし、線路にうずくまる元気があれば、積極的安楽死を選択する自由はない。
話は変わるが、病気で、例えば、ガンのステージ4で、もはや、どれだけ努力しても、その命を維持することができない場合において、仮に、その方が、とてつもない苦痛を感じていたとしても、現在の日本においては、医療麻薬の投与という方法しか取ることができず、いわゆる積極的安楽死ということは、法律上許されていない。
わたしの母が、去年の9月に亡くなったが、亡くなる数ヶ月は、かなりからだにおいても、こころにおいても、つらい思いをしていたので、僕は、医師に、消極的安楽死をお願いしたい、と伝えて、その結果、母は、比較的短い期間で、死に至ることができたことは、よかったと思う。
わたしの母の場合は、消極的安楽死という方法をとったので、医師にはなんら責任はなく、法律上もなんの問題もないのだけれど、これが積極的安楽死となると、これは、現在の日本における法律においては、決して許されていない、ってことには、どうなのかなって思う。
日本においても、積極的安楽死というものを導入する論議がどこまで始まっているのかはわからないし、世界的に見ても、積極的安楽死については、なかなか、それをよしとする国がかなり少ない、ってことからみても、日本において、積極的安楽死を容認されるには、まだまだ、高いハードルがありそうだ。
早く、積極的安楽死の論議がもっと活発になり、余命わずかで、苦しんでいる人がいれば、積極的安楽死を導入することも必要ではないかと思うけど、倫理的な問題があって、難しいのかなあ。
あと、もっと言えば、冒頭の話に戻るけれど、どうしても、自分で死にたい、っていう人には、安楽死を選択肢として可能な方法を選択可能にしてあげるのも、その人にとっては、いちばんいいのかもしれないね。
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