行政書士寺村事務所のブログ

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今日は、終戦の日。終戦の日っていうのは、各国において違っていて、日本では今日であるけれど、日本人であれば、今日は、戦争のために亡くなった人に哀悼の意を表したい。

1945年の8月15日に至るまで、戦争をやめようにもやめられず、結果として、多くの人命が失われた悲しい戦争から76年。

 

もはや、日本人であっても、戦後の混乱の状況を知っている人はまだ多くとも、実際に、戦争の災禍にあった人、あるいは、実際の戦争を知っている人、戦争が目の前の自分に遭遇した人っていうのは、たぶん、85歳以上の人だけだろうから、この先、10年も経てば、実際に戦争の中で生きた人っていうのは、ほとんどいなくなる、ってことなんだろうね。

 

前に僕のブログで、なんで、もっと早く戦争をやめることができなかったか。もし、せめて、あと、半年早く降伏していれば、東京大空襲もなかったし、大阪もしかり、他の都市もしかり、そして、広島や長崎の惨禍もなかったのに、って書いたけど、まあ、当時は、日本人全員が、日本政府によりマインドコントロールされていたので、仕方ない状況ではあったのかもしれない、っていうのを改めて考えると、そうするしかなかったのか、って考えたけど。

 

今、日本は、アメリカやロシア、中国他、各国の核爆弾の存在により、戦争というものから守られている。

 

もし、核爆弾というものがなかったら、もはや、第3次世界大戦が始まっていたのであろうけど、どこ国も、戦争やったら、自分たちも含めて、世界のすべての人間が滅亡する、っていうことを知っているから。

 

考えてみれば、あのキューバ危機の時に、よくもまあ、戦争にならずにすんだものだと、本当によかったと思う。

 

もし、あのとき、核戦争に至っていたのであれば、今こうして、気楽にブログを書くこともできず、すでに、地球は、荒廃した土地となり、人類は滅亡していたかと思うと、まあ、よく、アメリカもソ連も、とどまったな、って思うし、よかった、って思う。

 

話は日本の戦争の話に戻り、4年前、2017年の夏に、鹿児島の知覧へおもむき、知覧の飛行場から特攻隊として、飛行機に爆弾積んで、敵艦隊に攻撃を仕掛け、そのために、亡くなっていった人たちの資料を見る機会を得た。

 

そして、こんな悲しいことは、二度としてはならない、と感じた。

 

今後、核兵器の存在により、世界的な戦争が発生することはないとは思うけど、今でも中東においては、核兵器すら使わないとは言え、ミサイルによる火薬爆弾における小競り合いが続いている。

 

日本においても、例えば、北方領土竹島尖閣諸島、といった領土問題により、一触即発の状態があることも確かだし、いつ、小規模な小競り合いが発生してもおかしくない状況だ。

 

ただ、どんな小さな小競り合いであっても、そこには、ひとの命が失われる可能性を多分に秘めていることも確かで、それだけは、なんとか避けて欲しいとは思うけれど。

 

ただ、感情的になってしまうと、戦争の災禍を知らない人にとっては、ちょっとくらいなら、やってもいいんじゃないか、って思ってしまうかもしれない。

 

いろいろ考え方はあるとは思う。僕だって、北方領土竹島尖閣諸島に関しては、言いたいこともあるけれど、それを実行に移してしまえば、戦時中の日本に戻ってしまう、ってことだし。

 

そこは、なんとか、政府間でのやりとりのなかで、問題はあるけど、武力は使わない、っていう方針で、このまま、続いていけばいいのかな、って思う。

 

言いたいことは、人の命を、戦争というもののために、そのもっとも大切なものを、ひとつであっても失ってはならない、ってことで、そのために、どうするべきかを考えることが大事だ、っていうことだ。

 

#戦争

#終戦の日