1945年の8月に広島と長崎に、史上初、原子爆弾が、人が在住するところに、つまり、軍人も、民間人もすべて含めて、その命を奪うべく、原子爆弾が炸裂し、多くの人が、その犠牲になってから、76年が経過したことになるね。
毎年、広島原爆の日や、長崎原爆の日には、日本の総理大臣が出席するが、なぜか、天皇は参加しないのが通例となっているようだね。
なぜ、原爆の責任者の一人でもある、時の天皇、および、後の、皇室の参加がないのかはわからないけど、それは、わたしたのち責任ではないということなんだろうか。
太平洋戦争の、やめ時っていうのは、いくつかあったと思うけれど、なぜ、ここまでやられるまでに、戦争を終結することができなかったのか。
それが、誰のせいか、っていうことは、議論があるところだろうとは思うけど、当時の総理大臣であった、東条英機は東京裁判で死刑となり、それで、責任は取られたということなのだろうか。
ミッドウェーで、決定的な戦争の分岐点となり、その後、どんどんと、日本の敗戦が近づく中、まだ、勝ちを信じて戦いを続けていた。(この時点で、もはや、日本の上層部は、負けを感じ取っていただろう)
しかし、結果的には、硫黄島を占領され、そのために、アメリカ軍の滑走路が整備され、爆撃機であるB-29や、戦闘機であるP-51ムスタングなどの、日本への空襲が始まり、もはや、日本に戦争を勝利する可能性はなくなった時だったと言えるだろう。
しかし、日本は、戦争をやめなかった。
それを誰が、どのような考えで、あるいはどのような、背景があって、戦争をやめられなかったのかはわからない。
1億、総玉砕という信念の元に、戦争が続けられたのか、あるいは、それ以外の理由があったのかはわからない。
逆に、この文章を読んで、こうこうこうこう、こういう理由で、戦争を止めることができなかったのだよ、ってことがあれば、教えて欲しい。
まあ、硫黄島占領が、1945年のはじめくらいか。
この時に、もし、日本が、戦争の勝利をあきらめ、敗戦を認めていれば、東京や大阪をはじめ、日本の多くの場所において、アメリカ軍の空襲を受けることはなかったと思うし、ましてや、この8月の広島、長崎はなかったと思う。
また、ロシアの戦争参加もなく、北方領土の問題も現在存在しなかったはずである。
日本政府は、戦争の責任は、あくまで当時の日本政府、あるいは軍の責任であり、当時、天皇陛下万歳と言って、戦争で命を落とした人がいるにもかかわらず、天皇の戦争責任は、一切取らない、っていう方針を、今後も貫くのだろうか。
多くの国民は、天皇は、当時、コントロール下にあって、根本的な責任はない、ってことで、だから天皇には戦争責任はとらせない、っていうことなんだろうけど、果たして、それでいいのか、ってことには、ものすごく、違和感を感じる。
日本人は優しい性格だから、当時の御前会議で、どのような議論がなされようが、結果的には、天皇には責任がない、っていうことで、それが今では、当然のことになっているようだけど、それには、占領軍のマッカーサーが、天皇を残した方が、今後の日本の統治に都合がいいから、残しておこうという気持ちが、強く働いたことがあったのではないだろうか。
もはや、当時のことはわからない。
ただ、昭和天皇には、少なからず責任があったはずで、それが、現在でも論議されることなく、その子息が、国家の元首となっていることには、ものすごく疑問を感じることは確かだ。
いつ、戦争をやめればよかったのか、っていう判断を誤った日本軍。
そして、その結果、何十万人もの日本人を死に至らせた、当時の日本政府。
そして、その中枢にいた天皇の存在。
戦争終結の日(これも言いたいことがあるので、また伝える)を前にして、今、僕たちは、その戦争の災禍にあった人たちのことを忘れがちで、ただ、毎日のコロナウイルス感染者の数におびえているだけにすぎない。
この戦争が、いったいどういう状況で、発生して、どのような状況で、敗戦になったか、ってことを、もう一度、考え直さなきゃいけないんじゃないか、って思うんだけど、それを言っても、今の若い人には、伝わらないか。
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