行政書士寺村事務所のブログ

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広島、原爆の日。毎度のごとく、広島市長が、核廃絶を訴えるけど、そんなことできるわけもなく、なんで、意味の無い訴えをするのだろう?

今日は、広島、原爆の日ということで、なんだか、オリンピックのニュースのすき間に、なんだか、今日はそういう日だったってことが伝えられているね。

 

で、毎年思うんだけど、この広島にしても長崎にしても、市長が、核兵器の廃絶を望む、っていう発言。

 

これって、どうなんだろう、って思うのは僕だけ?

 

だって、人類が、核分裂核融合の、そのとんでもないパワーを知って、それが存在する以上、それを行使するかどうかの判断をどうするか、っていうことは、どうしましょう、っていう議論があってもいいけれど、核兵器の廃絶ってのは、それを知ってしまった人類に出来るわけもないはずじゃないですか。

 

人類が、核分裂や、核融合の仕組みを知ってしまったことで、もはや、核兵器の廃絶っていうのは、根本的に無理な話であり、それに対して、広島市長や、長崎市長(まだ、言っていないのでわからんけど)が、核兵器の廃絶を訴えるのは、あまりにも、パフォーマンス以外のなにものでもなく、どれだけそれを伝えても、それが、なんの意味もない、発言であることは間違いない。

 

市長という立場において、そう言うしか仕方ないとはいえ、はっきり言って、この程度の発言しかできない市長は、はっきり言って、やめていただきたい。

 

逆に、「核兵器の廃絶は無理なことだとはいえ、その行使をどうやって止めることができるのかを問いたい」っていう市長が出てくれば、その市長には賛同するけどね。

 

絶対、100%できないことを、それをやって欲しい、っていうバカなやつはこの世の中にいることは確かだけど、そいつは、そのことを自分自身どう考えているのか、っていうと、たぶん、何も考えてはいないとは思うよ。

 

たぶん、こういうことを言えば、誰にも文句を言われずに、なにごともなく、その場の雰囲気に流されて、その場をしのぐ、ってことなんだろう。

 

そもそも、広島や長崎に、なぜ、原爆を落とすまでの状況になるまで、なぜ、日本は、戦争をやめられなかったのか?

 

もっと前に、1945年3月10日の東京大空襲についても、もちろん、そのほかの空襲についても、なぜ、そのような状況になるまで、戦争を止められなかったのか?

 

そのような、大前提があっての話なのに、なぜか、結果として、原爆が投下された、っていう事実だけで、その経緯について語られないのがなぜなのか、っていうことを問いたい。

 

この戦争は、途中でやめることができたのではなかったのか?少なくとも、日本が終戦の日としている8月15日より、半年前には、戦争をやめることが可能だったのではないか、っていうことを問いたい。

 

まあ、結果的には、東京や大阪に空襲がなされ、多くの人が命を落とし、また、広島、長崎でも、多くの人が命を落とした。

 

その経緯について、もっと多く語られていいものだとは思うが、残念ながら、結果だけについての話だけが綴られ、その経緯についての話は置き去りになってしまっている。

 

もう一度、この戦争について、どうして、それが始まり、どのような経緯があり、どうやって終結したのか、ってことを、ちゃんと自分で調べて、自分で考えて、自分でどうしたらよかったか、ってことを考える必要があるとは思う。

 

もはや、戦争は、過去のものとなり、それを意識する人が少なくなってしまった事実はあるけれど、今生きている人は、戦争によって、その中で生き残った人の子供や孫、ひ孫が、現在の日々を過ごしている。

 

その人たちに、自分の命がどうやって、今あるのか、ってことを考えて欲しい、って思う。

 

#戦争

#広島

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