甲賀市選管の元幹部ら有罪判決が執行猶予付きの有罪判決が出たことは、まあ、それは仕方の無いことだろうとは思う。
ただ、定年を間近に迎え、それなりの地位にあったひとが、すでに、懲戒免職処分を受け、さらに有罪判決を得たということは、同じ、市役所職員をやった自分にとっては、なかなか、それがよかったのか、悪かったのか。
何か、他の方法がなかったのか、ってことを考えざるを得ないっていう感覚だ。
もちろん、犯罪を犯したことは間違いも無く、それを擁護しようとする気もないとはいえ、果たして、自分が同じ環境になったときに、自分が、果たして、それに対応した行動をとれたのかどうかといえば、案外、この人たちと同じような行動をとるかもしれない、ってことがあるだけに、今回の事象は、とても人ごとで済ますわけにはいかない。
票が実際の数と合わないってことのプレッシャーってのは、実際に、選挙事務に携わったものであれば、誰もが感じることであり、わたしも、開票ではなく、投票所の責任担当者であったときは、常に、それにプレッシャーを感じていた。
実際に投票した人数と、残りの投票権の枚数の一致。
衆議院となれば、衆議院選挙はするけど、最高裁の裁判官の審判はしない、って人もあり、それこそ、かなりの緊張感の中で、常に、数合わせが合っているかどうかで、とてつもないプレッシャーを感じていたのは言うまでもない。
今回の、開票所における、つじつま合わせの行動が、結果的に、こういう結果になったことは、同じ、選挙事務をやった人間としては、わからないでもない。
わからないでもないが、やってはいけないことをやってしまった。
その結果、定年間近とはいいながら、自分の職を失い、退職金も受け取れず、人生を棒にふったのかどうかは、その人に聞いてみないとわからないが、決して、満足できる人生ではなかったことはたしかであろう。
人間、プレッシャーがかかったときに、どう対処するのか、ってのは、なかなか、その人になってみないとわからないし、今回の事件も、一般市民からすれば、とんでもない、ってことだろうけど、選挙事務をやった人間にとっては、わからんでもないってことだし。
この人たちが、たまたま、選挙事務の、重要な部署になってしまったことによって起こったことで、その人が、ぜんぜん関係のない部署にいれば、その人には、結局なんにも影響はなかったわけで。
まあ、このあたりは、実際に選挙事務をやった人間と、そうでない人間とは、感覚の違いが表れるのだとは思うけど。
まあ、だめなことはだめ。今回の事象は、少し、悪質過ぎたっていうことだろうか。