行政書士寺村事務所のブログ

滋賀県彦根市の行政書士寺村事務所です。自動車関連のお仕事や、相続関連のお仕事をやっております。どんなことでもかまいませんので、どうぞ、お気軽にご相談ください。

淡路島の巨大観音像を、国の費用で解体が始まったことについて。8億8千万の血税が、ひとりの人間の勝手な行動により、使われることに納得できない。

日本の法律において、これは仕方のない、ってことではあるけれど、こういうことがあるのであれば、法律を変える必要があるよね。

 

現在の相続に関する法律である、民法であれば、この観音像は、たぶん、不動産登記法上では、建物として、登記されていることは間違いなく、この観音像を作った人は、たぶん、作った当時は、かなり、羽振りも良く、その勢いで、作っちゃったんだろうとは思う。

 

最初は、観光客も多かったようで、地元の名物ができた、ってことで、この観音像を観光名所にして、観光客を呼び込もう、っていうことが、地元民、あるいは、地元の自治体も、ありがたい施設である、って考えていたのではないかな。

 

ところが、時が経過すると、いつの間にか、客は減り続け、観光客収入を得られなくなり、そのうち、債務が多くなった後に、この建物(土地もだろう)の所有者が亡くなった、っていうことなんだろうね。

 

まあ、相続人はいたようだけど、建物と土地の、現在価値と、建物の処分費用が考えた時に、自分に利益があるとは判断できなかったため、相続放棄、という手段を取ったんだろうと思う。

 

現在の民法では、相続人が被相続人の死亡があり、自分に、その相続権があるということを知ってから、3ヶ月以内に相続放棄をすれば、その正の遺産も、負の遺産も含めて、全部放棄することが可能なので、全員が相続放棄すれば、最終的には、土地や、観音像、および、その人の預貯金を含む資産について、すべてを相続放棄したということで、その人に相続権は失われ、相続人全員が放棄をすれば、それが国の財産となる、ってことで、今回は、そうなったようですね。

 

結果的には、たぶん、預貯金はほとんどないだろうし、土地も、どうだろう、せいぜい、査定額は、100万円くらいなのかな。

 

それに対して、観音像の財産は、マイナス8億8千万ってことになるから、相続人誰もが相続放棄するしかないだろう、ってことなんだけど、こんなことで、国民の血税、9億円近くものお金を、国民が負担することになることに、誰が理解できるのであろうか、って思うんだけど、みんなは、どう思うのかな。

 

まあ、めったにない事象であり、それを法律化することには、ちょっと、っていうことも考えられるけれど、実際にこういうことに至った場合に、結果的に、国民が、ひとりのバカのために、9億円近くのお金を負担しなければならない、っていうのは、どう考えても、どう考えても納得できないんだよね。

 

で、言いたいのは、土地はなんとかなる。(ならない場合もあるけど)

 

不動産登記法上の「建物」については、どうしても、いつかは、廃墟となるわけだから、自動車と同じような、リサイクル料金を登記の時に、保証金として預かる法律を作れないものであろうか。

 

この観音像以外でも、今、廃屋問題が、現状、多くなっている。

 

相続人が、誰も相続しなくて、廃墟となった建物が、隣の家にとって、とんでもなく、不安かつ、迷惑なものになっているけれども、それには、所有権があり、個人の資産である、ってことで、手が出せない、っていうことが多く出ている。

 

また、この相続人を特定するだけでも、僕も、行政書士として、それをやったことがあるけど、相続人を特定するための、戸籍収集というのは、たいへん困難で、代襲相続や、数次相続が発生していると、その戸籍の通数となれば、めちゃくちゃ多くなることも確かで、その費用もかなり多いけど、それは、地元市町村の負担となり、また、やっと相続人が確定されたとして、さらに、それらの人が、すべて相続放棄して、やっとのこさ、国の財産(負の財産だけど)となるわけなんだよ。

 

で、国は、多くの負の遺産を持つこととなり、それで、やっと、国民の血税を使って、解体工事をする、ってことになるんだよね。

 

こういうことが、ごくたまにあるケースだから、法律を変える必要はない、って言えば、確かにそうだし、ほとんどの日本国民は、若干、相続手続きに遅れを生じている場合もあるとは言え、まあ、いつかは、相続手続きをやっていることから、まあ、今回のことは仕方ないことのなのかな、ってのは思うけど。

 

僕としては、不動産登記法上の建物については、自動車のリサイクル料金と同じような、保証金を納める制度が必要だと考えている。

 

例えば、1千万の建物を登記したときに、その解体費用分として、どうだろう、例えば、五分の一程度、200万ほどのリサイクル料金(解体費用)を保証金として国に預けて、自分、もしくは、相続人が、自腹でで解体したと認められれば、その保証金は返還する、って感じで、そういう法律を、今後、作っていく必要があるのだと思うんだけど、どうだろう。

 

それと、最近、法律化しようか、っていう話も出ているけど、相続税には法律で期限があるけれど、相続手続き自体は、法律化されていなく、相続手続きをしなくとも、なんら、罰則が設けられていない、っていうのも問題だとは思うけどね。

 

この話は、別に今始まった話じゃないし、ずいぶん前から、問題視されてきたことだよね。それを、法律化せず、問題の発生を起こしているのは、唯一の立法機関である、国会、いわゆる、国会議員の怠慢であり、なんとか、いち早く、この民法を含む、相続の問題については、法律改正を望むのであるけれど、どうだろう。

人の結婚と、人の自動車を買う、という、ぜんぜん違う行動に対して。ホンダFITをこき下ろした後ではあるけれど。

先ほど、自動車購入に関して、持論を話して、その中で、ホンダFITが売れない理由を、いろいろ話したわけだけど、果たして、これが、いいことだったか、悪いことだったか、ってのは、自分の気持ちにおいても、ちょっと言い過ぎたかな、ってのは感じている。

 

表題で、例えば、人の結婚、っていうタイトルをつけたけれど、まあ、自分っていうか、みなさんが、結婚相手を決める時に、何をポイントとして、結婚を決意するのか、っていう話と、自動車を買うときに、何をポイントとして、自動車の選択をするか、っていうことについて話してみたい。

 

自動車を購入する数字は、多い人だと、一生に10回くらいにもなるのだろうし、少ない人であっても、その時の生活の上で、ってことでいろいろ変化はするだろうけど、どうだろう、一生のうえでは、5回程度が普通なんだろうとは思う。

 

もちろん、自動車を常に乗っている人に限ってっていう前提であり、一生のうち、一度もマイカーを購入しなかった、って人も多いだろうから、なんとも言えないけどね。

 

特に、最近は、若年層の自動車保有率も下がってきているし、そもそも、自動車運転免許すら、意味がない、ってことで、取得しない人も多いとは聞いている。

 

人が、結婚する時、結婚する相手を決める時、っていうのは、男にとっても、女にとっても、一生のことであり、まあ、普通の場合は、男女、どちらかが死ぬまで、継続される、っていうのが、まあ、一般的と言っていいのかどうかは、わからないけど、多くは、そうなっていることが普通ではあるよね。

 

一方、自動車に関しては、さすがに、結婚とまではいかないけれど、その生活スタイルによっては、マイカーを変えるってこともあるのも確かで、それを否定するものでもない。

 

で、言いたいことは、ホンダFITを、めちゃくちゃこき下ろしたのではあるけれど、例えば、結婚に関する、配偶者に関しては、見た目はよかったんだけど、いざ、結婚したら、その性格とか、行動とか、自分に対する行動が、めちゃくちゃ悪かった、っていうこともあるだろう。

 

また、その逆で、見た目はイマイチだったけれど、いざ結婚してみたら、とても優しくて、なんでもやってくれて、自分のことをとても大事にしてくれる人だったってことも多くあるのは間違いない。

 

これを自動車に変換すれば、見た目はよかったけれども、いざ乗ってみれば、乗り心地が悪かったり、静粛性が悪かったり、燃費が悪かったり、その他使い勝手が悪かって、結果的に、こんな車買わなきゃよかった、ってこともあるだろう。

 

逆に、フロントマスクはイマイチだったけれど、乗り心地はよく、走行性能も良く、静粛性もあり、燃費も他社ライバル社よりはるかによかった、ってこともあるだろう。

 

だから、ホンダFITをこき下ろしたけれども、たぶん、乗ってみれば、とてもいい自動車なんだと思う。

 

ただ、だからといって、じゃあ、FITを買うか、って話で、もしかすると、買ってよかった、って思うかもしれないし、結局乗っても、なんだか、自分で納得できない、ってこともあるかもしれない。

 

自動車購入の決め手を、結婚を決めることと同じにするのは、あまりにもばかげている、っていわれれば、確かにそうだけど、なんだか、共通点があるのかな、って思って、ブログに書いてみた。

 

それはぜんぜん、話は違うよ、って言われるだろうけど、なんか、自分としては、ああ、なるほど、これは共通点があるよな、って感じたので、書いてみた。

ホンダのSUV、新型ヴェゼルが、下手すると、納車1年待ちだって。同じく、ホンダFITは、どうしてあんなデザインにしちゃったんだろうね。

先日、ヤリスクロスの納車が半年後だとお伝えしたんだけど、さすがに、納車が1年後だとなると、買うにも買えないっていうのが正直なところだろう。

news.yahoo.co.jp

僕が、先日、ヤリスクロスを注文したのは、ヤリスクロスがめっちゃかっこいい自動車であったことで、よく、このヤリスクロスのライバル車として、このホンダヴェゼルが比較されるけれど、僕自身は、このヴェゼルに基本的に興味がなく、まず、値段が、同じようなグレードであった場合に、ヴェゼルは、30万円ほど高い、ってこともあり、そもそも比較対象ではなかったこと。

 

あと、これは、個人的な見解があるのだけれど、このヴェゼル。僕にとっては、買う気にならない、フロントマスクがあったからだ。

 

あと、今の愛車のダイハツムーブの車検切れの時期と、ヤリスクロスの納車時期が、ちょうど、合致していた、ってことはあるんだけどね。

 

ヴェゼルは、今も話したように、当初から頭になかったので、ホンダ店に行くこともなかったし、もし、ホンダ店へ行って、納車が1年待ち、ってことであれば、さすがに、1年は待てない、ってことになったんだろう。

 

まあ、ホンダにとっては、売りたくても売ることができない状況をどう思っているんだろうね。

 

突然、話は変わるけど。

 

あと、心配なのが、ホンダのFITをデザインして、最終判断をした人は、現在、ホンダ内で、どういう立場におかれているんだろうか、ってことを本当に心配している。

 

突然、FITの話になったけど、FIT、売れてないんだよね。フルモデルチェンジから、1年。ヤリスやヤリスクロスがめちゃ売れ。

 

日産のノートもそこそこ売れているらしいが、FITに関しては、まったく売れない、っていう状態になっているんだよね。

autoc-one.jp

まあ、正直言って、あのフロントマスクで、買ってください、って言っても、「ごめんなさい」っていうことは確かだけどね。

 

たぶん、自動車としての快適性や性能は、ライバルより高いんだろうけど、さすがに、あのフロントマスクでは、ってのを考えてしまうんだよな。

 

軽自動車においては、いまだにホンダのN-BOXが、爆売れの状態だけど、FITに関しては、早速、マイナーチェンジが最近されて、妻夫木聡さんをCMに送り込んで、なんとか、買ってもらおうという気持ちがわからないでもないけれど、あくまでマイナーチェンジであり、基本的なフロントマスクの変更がされない状況では、さすがに、今後のことを考えても、フルモデルチェンジでもしなきゃ、売れないだろうとは思うけどね。

 

フルモデルチェンジのデザインって、なかなか難しいんだろうけど、当然ながら、デザインを考えるところで、多くの社員の感覚や、あるいは、一般人の意見も聞いているかもしれないし、最終的に、このデザインで行こう!、って時には、それこそ、社運をかけてのことだから、十分に吟味した上での判断だったんだろうけど、それにしても、ってことだよね。

 

世の中、何が受けいられ、何がうけいれられないか、ってのは、難しいものはあると思う。

 

ホンダのFITと言えば、ホンダにとって、メインで販売する車種だろうから、そのデザイン担当者や、上層部、役員、取締役、社長も、すべてのハンコを押した上での発売だったんだろうけど、どこで間違いがあったのか、ってのは、知りたいところではあるけどね。

 

ということで、僕が購入したヤリスクロスの納車がいつになるか、ってことが、今の僕にとってはいちばんの関心事であり、ヴェゼルの納車がどうなのか、ってことには興味はないけど、心配なのは、ホンダFITの開発関係者、具体的にはデザイン担当者が、今、どういうお気持ちであるのかを推察すると、その心境たるや、まともじゃなくなっているだろうから、なんとか、多くの人が、FITを購入して、その人たちの心の少しでも、癒しとなってくれればいいんだけどな、って思う。

商売をやっている以上は、迷惑電話からの着信拒否はできない。それをいいことに、バカ企業が、多くの迷惑電話をしている現状をどう考えればいいのかな。

今週は、月曜日から金曜日まで、これまで生きていて、これほど忙しかったことがあっただろうか、っていうくらい、ものすごく、忙しい今週だったと言える。

 

朝から、仕事をしながら、自動車に乗った移動で、各役所を回らなければならないし、しかも、コロナウイルスの影響で、窓口における、対応時間の短縮ということもあり、自動車での移動時間と、役所の窓口対応時間にギリギリ間に合わせるように移動をすると、なんていうか、気持ちの中で、めちゃくちゃ、ストレスを感じることになることもあるね。

 

もちろん、まもなく、還暦1周年記念になる年齢において、これほど、仕事が来るのは、ありがたいことで、それなりの収入も得られることから、悪い話ではないけれど、自動車関連の仕事に関しては、広告費用を使っていない(ホームページの年間費用は払っているけど)にも関わらず、ネット検索において、自分のあげているホームページを見た人によって、毎日、確実に依頼を受けることとなり、それが、自分の可能な仕事量を、下手すると、越境することにならないかと、ちょっと心配ではあることは間違いない。まあ、悪い話ではないので、それに対して不満があるわけではないし、今後も、多くの依頼がくればいいとは思っているし、そう願っている。

 

で、その話はおいておいて、腹が立つのが、自宅を出て、外出しているとき。具体的には、自動車を運転している時に、いわゆる、迷惑電話が多くかかっていることに腹がたっている。

 

自宅に居ても、迷惑電話はかかってくるけど、例えば、「0120」とか、「050」で始まる電話番号からの着信には、あんしん応答機能を利用し、相手に、「自分の情報を伝えなければでませんよ」という機能があるので、それをすると、まあ、たいていの場合は、それで電話を切ることになる。

 

で、その番号を、ネット検索すると、いわゆる迷惑電話であったことがわかるので、迷惑電話に登録して、今後、同じ電話番号からかかってきても着信しないということにはなるのだけれど。

 

外出しているときは、自分の事務所にかかってきた電話は、転送サービスにより、自分のスマホにかかってくる仕組みとしている。

 

それで、スマホには、迷惑電話を受信しないというアプリを入れているけれども、最近は、迷惑電話業者も、番号を変え、例えば、携帯電話の番号であったり、050であっても、迷惑電話と推測されない番号でかけてくるので、どうしても、運転中のスマホに電話が着信してしまう。

 

相手は、自分の名前を言うけど、それだけで判断できれば、即、切ればいいんだけど、相手の名前だけで、それが、自動車販売店であるのか、迷惑電話業者であるのかが、不明な場合もあり、自動車販売店であれば、それはありがたいことで、話をするのだけれど、初めて聞いた名前の業者であれば、それが、ちゃんとした企業か、迷惑電話業者かってのはわからないから、いちおう、「はい、お世話になります。」って言葉で話を聞くんだけど、結局、それが、迷惑電話業者であれば、即、切る。

 

だって、事務所にかかってきた電話を、転送サービスを利用して、スマホに通話がされる場合は、事務所から、自分のスマホにかかる電話代は、全部、こちら持ちになるんだからね。

 

自分が利益を得る電話であれば、自分の事務所から、自分のスマホにかかる電話代は、もったいないとは思わないけれども、迷惑電話であれば、その電話代に仮に1円であってもかかるとすれば、まったく意味のないお金を、その迷惑電話業者のために、払うことになるので、これはめちゃくちゃ、腹の立つことであることは確かだ。

 

最近は、迷惑電話業者も、携帯電話の番号を使用して、いきなり切られない手法を使っているようで、これは、防ぎようがない。

 

ちゃんとした自動車販売店であっても、自社の固定電話を使用せず、携帯を使うことが、最近は、半々くらいで、かかってきた、携帯電話を拒否することはできないんだよな。

 

だから、今後も携帯からかかってきた迷惑電話を、受けることになるのだろう。もったいない、って思わなければ、その携帯からかかってきた人に、「あなた、今自分がやっていることに対して、自分でどう思っているの?恥ずかしいことをやっているとは思わないの?」って言いたいところだけど、そんな説教のために、電話代使うのもアホらしいので、あえて、迷惑電話と判断した段階で、電話を切るようにはしているけどね。

 

事務所にかかってきて、自分がお金を使わない電話に関して、相手が迷惑電話業者であった場合は、ちゃんと、相手に、「あなたが、今、やっていることは、お金のためだと思うけど、それが、自分にとって、迷惑電話をかけている感覚はあるのか?そして、それを認識しているのか?今、自分がやっていることに対して、自分自身で、納得してやっているのか?」って、つぎつぎと話をすると、中には、「まあ、仕方ないです。お金のためだから」っていう人もいれば、突然、電話を切る人もいるね。

 

この迷惑電話をかけてきている企業(多くは、電話がお得になりますってのが多い)は、その販促活動を、違法なものではなく、正常な企業活動であり、問題ない、っていうことだろうけど、世の中の多くの善人には、相手の言葉にあやつられ、その迷惑電話業者の言いなりになって、契約する人も多いだろう。

 

法律に違反しなければ、何をやっても問題ない。ちゃんとした販促活動において、契約を成立しただけの話だ、って言われれば、確かに、それを罰する法律はないのだろう。

 

ただ、前述、無理矢理、不特定多数の人に電話をすることが、普通に自宅や、事務所で受信する人だけなのであれば、別に、その受信した人が判断すればいいことだけど、商売をやっていて、事務所の固定電話にかけてきて、それが、事務所の都合で、転送サービスを利用されてしまって、高い電話代を課せられるのは、どうしても納得できない。

 

だったら、商売やめろ、って言われればそれはそうだけど、そもそも、不特定多数の人に、電話という手段をもちいて、電話をすること自体、これが正常な販促活動だとすれば、それは違うとは思うんだけどな。

 

あっ、そうそう、たまに、新聞社かテレビ局かわからないけど、ロボットで、世論調査の電話がかかってくることもあり、これは、めちゃくちゃ迷惑な話で、こんなことが、許されているっていう現状が、自分にとっては、絶対許されないことだと思うんだけどな。

そろそろ、終活を考えなきゃね。自分の死に対して、家族に迷惑をかけないために。

今、60歳。自分では、まだまだ、元気だとは思うけど、もうすぐ、還暦1周年記念となることとなれば、そろそろ、自分もいつ死ぬかわからないし、もし、いきなり死んだ時のことを考えて、自分の後始末、っていうか、終活っていうか、他人に迷惑をかけることなく、自分の終わりを考えなきゃいけない時に来ていることは確かだよね。

 

とにかく、今自分が、突然死んだとしたときのことを考えなきゃいけない。

 

死は、突然やってきて、それは自分でも推測もできないし、もちろん死んじゃったら、あとは、自分で何もやることはできない。

 

だとすれば、今から、自分が死んだ時のことを、ちゃんと今から、整理する必要があるのは間違いない。

 

まずは、葬式だ。自分は、無宗教なので、いわゆる葬式っていうのは、御免被りたい。

 

信ずる宗教もないし、死後の自分ってのは「無」であり、いつまでも、過去の人でありつづけることは御免被りたい。

 

死んだ時に、自分がコントロールできればいいんだけど、死んじゃったら、自分でコントロールができないので、これは家族にまかせるしかないよな。

 

その時だ。家族が、例えば、自分の親族でいちばん近い人は、兄ではあるけれど、決して、兄には、自分の死を報告して欲しくないし、いつか、日が経過したときに、ああ、もう死んだのか、ってことで済ませて欲しいと思っている。

 

もちろん、兄が先に死ぬかもしれないが、たぶん、兄が、葬式っていう方式をとるならば、僕は参席するつもりもない。

 

僕としては、自分が死んだら、今、契約している、小さなお葬式の、いちばん安い方式で、とりあえず、火葬するまでのドライアイスとかは必要だろうから、それはお願いしたいけど、自分の骨に関しては、そのひとかけらも家族に渡したくないし、すべてを産業廃棄物(その言葉がいいのかはわからない)として、処分してもらいたいと考えている。

 

前に、彦根市で死んだ時における、火葬の施設である、多賀町の施設に、メールで問い合わせたけれども、回答はなかったので、どうなるかはわかんないけど、今一度、自分の火葬後の処理については聞いてみたいとは思っているけど。

 

死=無、である、っていう自分の感覚からすれば、仮に、自分が死んだ時に、家族が勝手に、真宗大谷派(滋賀、湖北、湖東に多い宗教で、妻も信ずる宗教でもある)の坊さんを呼んで、死んだ自分の前で、どうでもいい、お経をあげてもらうのは、仮に死んだ自分としても、めちゃくちゃ迷惑な話であり、それに対して、お金を支払うことになるとなれば、それは、死んでも死にきれないくらい、めちゃくちゃ、いやなことであり、無駄なことであるという感じを持っている。

 

だから、自分が死んだ時には、一切の宗教的な行事をやめ、最低限、火葬までに必要なドライアイスとか、さすがに生で火葬場に持って行くわけもいかないので、最低限な棺桶を使用していただいて、最終、火葬後は、骨を拾うことなく、すべてを廃棄物として、処理していただくことが、こころから願うところではある。

 

このことは、まだ、自分が、まだ死なないだろう、って思っているから、具体的にどうして欲しいか、っていう、家族への遺言っていうか、こうして欲しい、っていう話もしていないし、文書で、このようにして欲しい、っていうのも伝えていないので、なるべく、早く、その処理については、家族にこうして欲しい、っていう文書を作成して、自分が死ぬ前に、家族に渡しておく必要があると思うので、その作業をはやくやりとげたいとは考えている。

 

自分の死なんて、いつ起こるかわからないし、もしかして、このブログの更新がなければ、自分は死んでいるってことになるかもしれないしね。

 

寝ている間に、朝には冷たくなっていることもあるだろうし、自動車を運転していたら、事故で死ぬかもしれないし。

 

半年後のヤリスクロスの納車についても、ちゃんと家族に伝えておかなくちゃ、死んだ後に納車なんてことになるかもしれないから、それだけはしっかりと家族に説明しておく必要もあるしね。

 

時間は、あまり無い。はやく、財産はないので、遺言という方式をとる必要はないだろうけど、自分の死後において、家族がやるべきことは、しっかりと、文字情報として、残しておかないと、家族が困ることになるので、それだけは、なるべく早い段階で、残しておこうとは思っています。

 

仕事もいまだに、めちゃくちゃ忙しくやっていて、中には、継続的な仕事もあるので、そのこともちゃんと家族に伝えて、仮に自分が死んだ時には、この人に、こうこうこうで、仕事を継続することができません、っていうことも必要だし、とにかく、仕事に関しては、まだ、現役であり、継続の仕事もあるので、依頼者に迷惑をかけることなく、自分が死に至った場合においては、なるべく早く、依頼者にそのことを報告ができるように、ってことも含めて、とにかく、60歳を超えたら、自分に何が起こるかわからないわけだから、その時のための処理方法を、ちゃんとしておく必要があるのは間違いなく、それをすることが、今の僕にかせられた責任だと考えている。

FAX廃止令?通信プロコトルとしてのFAXを否定しているのか、紙切れを廃止するために言っているのか。

この大臣。まあ、認め印を廃止したり、なるべく行政上において紙切れを無くしたい、っていうことには理解はするが、FAX廃止令っていうのが、電話回線を使用するFAX、すべてを廃止するのか、って言えば、かなり疑問が残る。

 

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一般的にFAXと言えば、例えば、手書き、あるいは、ワープロソフトでプリンターで印刷する。

 

次に、印刷された紙切れを、FAX機械に添えて、電話番号を押して、相手のFAX機械に送信する。

 

受信を受けた側は、受信したFAXを、紙切れにして、それを確認する。

 

こんなことは、当然ながら、廃止すればいいと思うが、この大臣は、通信プロコトルとしてのFAXすらも廃止せよ、って言っているのか。

 

わたしは、仕事の中で、毎日のように、FAXを利用しているけれども、紙切れ1枚、使うことはない。

 

送信は、USB対応のFAXモデムを使い、デジタルデータを、モデムを使って、相手のFAX番号に対して、送信している。

 

相手が、それを紙切れとして利用しているかどうかは知らないけれど、自分自身は、わざわざデータを紙切れにして、それを読み取り、それを発信する、ってことはしていない。

 

つまり、送信に関しては、まったく、紙切れ1枚使うことなく、すべて、パソコン内のデータとして、ただ単に、通信プロコトルとして、電話回線を使う、ということである。

 

また、受信においては、FAX対応プリンターにて、受信し、受信したら、パソコン画面に、「FAXを受信しました」、っていう表示がなされ、それをクリックして、FAX受信をすることで、それをいちいち、紙切れに印刷することもない、ってことが当然の状態なんだけどね。

 

受信したFAXを印刷する必要があることが、ごくたまにあるので、その場合は、受信したFAXを印字して紙切れにすることもあるんだけど。

 

行政の中で、現状、どのようなFAXを送受信しているのかはわからないけど、もし、送信に対して、プリンターで印字して、それをFAX機械において送信し、また、相手も、FAX受信機において、紙切れとしてそれを取得しているのであれば、これは、大臣の言うとおり、FAX廃止令を出してもいいとは思うけど。

 

行政はわからないけど、自分は仕事上で、毎日のようにFAXを利用しているけれども、前述、自分自身は、紙切れ1枚すら使うことはないし、受信したFAXを、紙切れに印字することも、基本的にはない。

 

言いたいことは、通信プロコトルとしての、FAX・・っていうか電話回線は、今でも有効に活用されていて、それで、仕事が回っている、って言って間違いないことだ。

 

だって、相手から、FAXで送ってください、って言われれば、電話回線を利用して、FAXを送るしかないし、相手が、FAXで送ります、って言われれば、プリンターのFAX機能を利用して、受信せざるを得ないしね。

 

すいません。FAXではなく、メールで送信していただけますか、って言えれば楽だけど、相手がそういうことにあまり、強くない人であれば、それも無理だっていうことが、仕事のうえでは当然のことでもあるしね。

 

この大臣は、まるで、なんでも知っているよとでも言いたいようだけど、果たして、現状における、FAXが、どういう形態で行われているのか、ってを知っているのか、ってのは、甚だ疑わしい。

 

メールアドレスがわかれば、確かに、基本的にメールで送受信をするし、紙媒体は、スキャニングして、PDFで送信すれば、FAXより、はるかに鮮明に送受信することが可能だ。

 

ただ、残念ながら、このメールというのも、僕は、メールが来れば、自動的にメールソフトが起動し、メールを読めるし、外出時も、来たメールをスマホで確認できる、っていう状態にしているので、そこについては問題がないのではあるけれど。

 

ただ、残念ながら、特に、年配者にとっては、自分のメールアドレスを間違えていたり、あるいは、自分が独自のサーバーを使用している影響から、相手に、自分が送信したメールが、届かない、あるいは、迷惑メールとして、はじかれることも多いのも確かで。

 

そうなると、やっぱり、数字番号10桁で、文字情報を送れるFAXというのは、対相手にとっては必要なことであることは確かなんだよね。

 

この大臣は、行政と行政間でという前提を持っての発言だとは思うが、果たして、この大臣、紙切れ1枚も使わないFAXってのを知っての発言なのか、それとも、それを知らないでの発言であるのかは、かなり、後者の方であろうかと思う。(誰か知っている人があれば教えて欲しい)

 

まあ、確かに、紙切れ1枚使わないFAXを使っているのは、かなりの少数派ではあるとは思うし、いまだに、紙を、FAX機に入れて、送ったり、あるいは受信したりしている人が多いのは事実だけど。

 

数字10桁で、通信プロコトルとして、電話回線を利用して、相手にこちらの意思を届ける、あるいは、相手の意思を受け取ることは、まだまだ、有効であるとは思うけどどうだろう。

 

そう考えると、この企業間、行政間で行われるFAXというものは、紙切れにして送受信するFAXというのは減っていくかもしれないけれど、通信プロコトルとして、FAXを電話回線を利用して使用するってのは、当分、なくならないとは思うし、現在、かなり有効な通信手段であることは間違いない、っていうことを言いたい。 

中学校、高校の、ブラック校則。いまだに、こんな校則が堂々と、成立していたとは。

小学校時代は、校則というのがあったのかは記憶がない。

 

中学生の時は、たぶん、校則だったのかな。記憶がとぼしいので、定かではないけれど、僕は、小学生から中学生に上がるときに、中学校に、頭髪についての校則というのがあったと思われ、それまでの小学生の時の、服装自由と、頭髪自由、というものから、制服が決まりとなり、頭髪については、男子は、丸坊主に。女子は、肩までの髪の長さがどうやら校則として、決められていたんだろうと思う。(決められていたのか、指導だったのかは不明)

 

もう、50年近くも前の話なので、そのときに校則がどうだったか、っていうのは記憶がないけど、制服っていうのは、いまだに多くの中学が制度化しているように思うけど、髪型については、丸坊主でなければいけない、ってことは、なくなったのかな、って感じだけど。

 

自分も、すでに、息子が30歳を超えているので、息子の時ですら、どうだったか、ってのは記憶がないけど、少なくとも、丸坊主にしなければならない、ってことはなかったんだろう、ってのは確かだったように思う。(息子の丸坊主を見た記憶がないので)

 

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で、いまだに、こんな校則がある、ってことに対して、その学校に勤務する職員であったり、校長、教頭にしても、これはまずいことだ、ってことを思わなかったのか、っていうことに、ものすごく疑問を感じる。

 

下着の色、って話があるけど、小学生の時、体育の授業になるときの着替えって、男女で、更衣室があったのかどうか、っていうのを考えると、たぶん、当時はなかったように思え、教室の中で、男女が同じ部屋で、着替えをしていたような記憶がある。

 

中学はどうだったかなあ。今思うと、まさか、中学生で、同じ教室で着替えをした、っていう記憶がないので、おそらくではあるけれど、中学では、女子更衣室っていうのがあったのではないか、っていう感じだとは思うけど、イマイチ、記憶があいまいなんだよね。

 

で、今の時代において、小学生であっても、女子においては、胸もふくらんでくることから、小学生においても、男子と女子の着替えが、同じ教室で行われることは、女子にとっては、ものすごく恥ずかしいことだと思うし、現状、どうなっているかはわからないけど、小学校においても、着替えを生じることがあれば、これは男女を別々にするべきであるし、もし、それが実施されていないとなれば、改善することが必要だと思う。

 

で、女子の下着の色まで、校則で決められているとして、いったい、誰が、それを確認して、仮に、白色でなくて、有色の下着を身につけたとして、それを、誰が、それを確認し、誰が、校則違反とする権利があるのか、ってことだ。

 

男はどうでもいい。はっきり言って。いや、それも、男子の中でも、LGBTの男子もいるから、絶対的なものではないことも確かだが、女子において、下着の色をチェックして、指導をするなんてことが、はたして、許されることなのか、ってことだよね。

 

まあ、現実、現場で働いている学校職員(先生)にとっては、それなりに理由があるのかもしれないが、この時代において、さすがに、これはおかしいだろう、って思うことが必要だし、そういう校則があるとすれば、それを、例え、いち先生であり、教頭や、校長に言えない、っていうことがあったとしても、これはおかしいだろう、って改善する必要があるし、それをしない、いち先生であれば、先生の資格がない、って言ってもいいだろうとは思う。

 

大事なことは、児童、生徒の気持ちであり、そのことを考慮することなく、これまでの慣例ってことで、ないがしろにしていたとすれば、それは、学校の問題ではなく、学校で働く、教職員の責任だと思うだけれどどうだろうかな。