行政書士寺村事務所のブログ

滋賀県彦根市の行政書士寺村事務所です。自動車関連のお仕事や、相続関連のお仕事をやっております。どんなことでもかまいませんので、どうぞ、お気軽にご相談ください。

どうやったら、楽に自死できるのだろうか。ネットでググっても、いい回答はないね。将来、いつか自死したい時が来るだろうから、いい方法を探してみたい。

今は一応健康で、まあ、持病を持っているので、長生きはできないけど、もし、普通に生活ができるのであれば、1年、1日でも長生きしたいとは思っている。

 

ただ、これも、僕の場合は、うまくいって、15年くらいか。あるいは、10年も経過しないまでに命を落とすことになる可能性は高い。

 

命を病気により、突然失われれば、それはありがたいことであり、生きる屍(しかばね)となることは、絶対に避けたいとは思っているんだけど。

 

ただ、こればかりは、その時に、自分をコントロールできれば、っていう前提があっての話であり、もし、自分で動くことも出来ず、自分の意思を表現することも出来ず、家族に大きな負担を負わせることは、絶対に避けたいとは思う。

 

ネットで、自死、あるいは自殺、楽に、って検索すると、いちばん最初に表示されるのは、厚生労働省のページで、

 

相談できる場所がここにあります  

 

というのが出てきて、自死する前に、ここに電話しましょう、って感じで、ホームページが表示され、あと、関連する自死に関するものも、具体的にこうやれば、楽に、人に迷惑をかけずに自死することができるという記事は、Googleが制御しているのか、日本政府がGoogleに制御をお願いしているのかはわからないでもないけれど、具体的な楽に死ねる方法が、いまだにわからずにいる。

 

前述、確かに、今の自分は、そこそこ健康で、仕事もバリバリして、これが、永遠に続けばいいんだけど、残念ながら、その期日は日に日に迫っていることも自分ではわかっている。

 

で、タイトルでも話したように、自死したいとき、どうやれば、楽に、人に迷惑をかけずに、自死をすることができるのか、っていうのは、残念ながらいまだに答えを持ち合わせていない。

 

よくあるのは、踏切や駅のホームで、通過する電車に飛び込むという方法があるけれど、これは避けたい。

 

そのために、多くの人が、列車の遅延や運休により迷惑をかけるし、だいいち、自分の死体を処理しなければならない、警察や駅関係者に多大な迷惑をかけるし、場合によっては、残された遺族に、多大な賠償金が請求される可能性が高い。

 

じゃあ、他には、っていうと、どうだろう。多くの人が、首を吊るという方法をとる人も多いようだけど、これも、なんか、苦しそうでいやだ。

 

首を吊る場所を、どこか山の中でとか、あるいは、自宅で、っていうのがあるけれど、自宅で首を吊れば、その不動産は事故物件として、不動産価値が大幅に落ちることになり、それは家族に大きな損失を加えることになるので、避けたい。

 

山の中で、ひとりで、ロープを木の枝につないで、っていうのであれば、比較的迷惑をかけることの比率は少ないのかもしれないけど、だいたい、首を吊ったことがないのでわからないでもないけれど、首を吊るって、めちゃくちゃ、苦しい思いをするらしいし、首を吊った一瞬で死ねればいいけど、例えば、死刑執行においては、刑務官がボタンを押して、ぶらーんと死刑囚がぶら下がった後、死刑囚は、苦しみのあまり、体を動かし、それを刑務官が体を押さえ、その後、医師が死亡を確認するまでに、早い人で10分くらい。長い人だと、執行から20分くらいで心肺停止になるという。

 

もし、その間の脳にたどり着く、痛み、苦しみってのは、誰もその状況を、あとで報告することができないので、もし、20分も苦しい思いをするのであれば、首つりもいやだ。

 

高いビルから飛び降り、っていう方法が、比較的楽に死ねそうだけど、地面にたたきつけられたときに、痛いのか、どうなのか、ってのもわからないし、なんか、死んだ後の処理をする人のことを考えると、それもいやだしね。

 

できれば、静脈か動脈に薬をいれられるような、比較的簡単に注射ができて、苦しい思いをすることもなく、なんだか眠くなって寝て、そのうち、心臓が停止する、ってことがいちばん楽だろうとは思うけど、その具体的な方法については、ここでこういう注射器と薬剤を購入して、ここにこう打てば、楽に死ねます。しかも痛みも苦しみもありません、っていうのがあればいいし、それを知りたいけど、その情報が手にはいらない。

 

まあ、今は、まだ自死を望んでいないので、積極的に自死の方法を検索しているってわけじゃないけど、もし、そういう時になれば、必死になって、楽に死ねる方法を探るとは思うけど。

 

で、自分が、自死を望むとき、ってどういう時かな、って考えた時に、具体的には次のような状況になったときだと考える。

 

まずは、病気により、自分の体が、自分の思い通りに動かなくなったとき。

 

もちろん、今でも自分の意思で、体を動かすことが、若いときと比較すれば、それは当然、動かなくなってきたのは当然だけど、まあ、自動車を運転することはできるし、普通に、歩くこともできるし、パソコンのキーボードを打つことも出来る。

 

だけど、もし、脳梗塞なので、右なり左なりの半身が、まともに動かなくなった時は、もちろん、こういう病気でも、リハビリで頑張っている人も多くいるけど、僕は、それが耐えられないと思う。

 

もし、そうなったら、からだ自身のおかげで、自分のやりたいことができなくなるだろうし、自死っていうのすらできないかもしれないけれど、もしそうなったら、自分は、自死を望むと思う。

 

次に、目を失うこと。つまり、失明することになれば、その時は自死を望むと思う。

 

視覚障害者の人を差別しているわけではないけれど、それまで目の前に、すべての世界が見られていたものが、もし、それが見られないということになれば、もはや、生きている意欲は失われると思う。

 

自動車の運転もできず、大好きなパソコンを使うこともできない、なんてことであれば、僕の場合は、生きている意欲が失われると思うので、その時は自死を選択するだろう。

 

問題は、自死を考えた時に、自分で、それが選択可能なのかどうかであって、もし、自分のからだが、自ら、自死をできない状況になれば、その時はどうすればいいのか、って思うと、なんとか、それだけは神に祈るしかない。

 

それ以外で、自分の力で自死できるのであれば、なんとか、楽に、痛くなく、人に迷惑をかけることなく自死できればいいな、っていうのは思っているんだけどね。

 

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