42人死亡の信楽高原鉄道事故から30年ですか。当日の朝だったか、職場の上司の母親が、世界陶芸祭に電車で向かっていたってことで、上司の母親が、事故に遭遇したのか、免れたのか、ってことで、職場では、ざわざわした雰囲気が流れていたことを記憶しています。
単線区間における、鉄道事故を防ぐために、いろいろな装置が設定されていて、この事故に関しては、最終的な裁判では、信楽高原鉄道側の過失による影響が大きいということで、7:3の割合で、信楽高原鉄道側が7割、JR西日本が3割の責任ということで、裁判の結果がされたようで、それは、お互いに異論はあろうけど、まあ、そういうことなのかな、っていうのは思う。
ただ、どちらに原因があったのか、っていうのはおいておいて、結果的にヒューマンエラーが原因での事故であることは間違いがない。
今でこそ、装置にエラーがでれば、それを人間が信頼して、人間としては、どこもおかしいところはないと感じていても、装置がエラーを発すれば、とりあえず、装置エラーを信じて、人間は、その措置に沿う形で、行動を取ることになっている。
ここ数年で、JRをはじめ、各民間鉄道会社も、機械(あるいはコンピュータ、あるいは、AI)というものを尊重して、装置に何かエラーがあれば、その対応をするようになって、事故は、確実に減ったのではないかとは思う。
だけど、どうだろう、10年、20年、30年前は、装置が発するエラーは、装置の異常であり、人間がそれを装置のエラーであれば、人間は人間の主張を優先できるっていう方式になっていたのだろう。
でも、それが、結果的にヒューマンエラーとして、人の命を多く失ってきた。
装置、機械のエラーは、人間より頼りなものであり、人間が良し!とすれば、それは、装置、機械が止めても、人間の尊厳で行動を行ってきたことが、結果的に悲しい事故に至ってしまったということであることは間違いない。
日々、コンピュータの性能が上がり、また、社員教育も上がっていて、もう、こういうようなヒューマンエラーが起こることはないとは思うけれど。
それでも、事故がゼロになるかどうかは、なかなか難しいのではないかとは思う。
ただし、コンピュータの能力をあげ、装置、機械の能力を上げ、運転手の能力(教育)をあげることで、電車事故が起きないことを、心から祈るばかりです。
こんな、つらい事故のニュースは二度と聞きたくないですね。