自営業の自由なところ。それは、平日に、旅行に行けることです。
土日は、どうしても、ホテル代など、土日前は高いので、安い時に、なるべく早く、予約を取ることによって、かなり安価で、楽しい旅行ができるのが自営業の強み、といっていいでしょうか。
さて、30日。大阪伊丹空港から、宮城仙台空港へ着いたのが、11時過ぎ。前もって予約していた、タイムズレンタカーのカウンターへ行くと、誰もいない。
ただいま、係員が席を外しておりますので、電話をお願いします、って書いてあるので、カウンターの電話をすると、「すぐに行きますので、そこでお待ちください」ってこと。
3分ほど待つと、男性が現れ、お送りします、とのこと。空港前の駐車場においてある自動車で、3分ほど走って、実際にレンタカーがおいてある営業所へ。
スピードチェックインを済ませていたので、免許証のコピーだけ取られて、すぐに、自動車に乗車できた。
自動車のナビと、スマホのGoogleマップの設定。あと、両面テープで、スマホをダッシュボードに固定して、ドライブレコーダーアプリを開始。
今日の予定は、福島第一原子力発電所の少し北。浪江町の海岸沿い。
早速スタートしました。南相馬市までは、比較的内陸部を通り、あとは、なるべく海岸沿いを走行。
ところが、いたるところで、海岸近くでは、とても背の高い堤防築造の工事をやっているので、なかなか海岸近くは走れない。原っぱの中の一本道を走っていると、なぜか、周辺には、なんにもない。
しかし、通る車両のほとんどが、ダンプカーという感じで、道路は最近できたような感じで、自動車のナビも、Googleマップにも載っていないような道路を走る。
目的地は、請戸漁港近くで、津波で壊滅した場所。Googleマップの航空写真では、次のようなところです。
Googleマップで見ると、各所に朽ち果てた住宅が残っているかと思いきや、これらほとんどが、原っぱ状態。
ごく、数軒、いまだに建物として残っている以外は、草が生い茂り、何もない状態です。その中で、数軒の壊れた家が残っているのは、何か意味があるのでしょうか。
この地区に関しては、やはり、まだ放射能の影響があるから、住民が帰れない状況になっているのかどうかは、わかりませんが、復興がほとんどされていない、っていうか遅れている、ってことを感じました。
もちろん、海岸近くでは、堤防工事をさかんにやっているようですが、地区自体の復活は、はるかまだ先という感じを受けました。
ぽつんと残る家。
何の建物だったかもわからないもの。
付近は、原っぱ状態。数軒だけが、なぜか、残っている。
家の土台だけ残っている。ここには、もともと家が建っていて、人が生活していたという現実がわからないほど。奥は、堤防工事。
この場所は、今後どうなるのだろうか。堤防を作っているということは、また、この高さで、家が建つってことなのかな。それとも、かさ上げして、住宅を建てようということなのかはわからない。
もし、堤防ができれば、仮に、津波がきても、この高さのままで家を建てても、なんとか耐えられるのか、堤防を越える津波が来ても、ないよりかはエネルギーがかなり抑えられるのか。
このあたりの津波の高さは、10mを超えているので、もし、津波が来ても大丈夫のようにするなら、少なくとも10mかさ上げをする必要があるから、それを待っているのか。
家の境界やらもわからない状態になっているので、登記情報から、区画整理が進んで、復活するのか。
この地区に関しては、復興は、まだまだなんだなあ。ここに住んでいた人たちは、今、どうしているのだろう、って思いをした半日を終えました。
帰り、仙台市内へ行くまでの途中、元からの高台、山の中腹あたりのところに、新しい住宅団地ができているのを確認しました。
家を離れてもいいというのであれば、高台に移り住もうという人もおおいのでしょうね。
今日の目的は達成したので、あとは、レンタカーが6時間で借りているので、そろそろ帰らないと、ってことで、また下道のダンプカーばかりでほこりっぽい道路を進んで、仙台市内まで帰りました。