昭和64年1月7日でしたっけ。昭和天皇が亡くなったのは。
当時のテレビ報道のことを思い出して、そのころのことを書いてみようと思いました。
テレビは、夜、1時頃をすぎると、おそらく放送休止になっていたのかな。
でも、NHKだけは、現在の天皇陛下の現状というものを字幕で放送していたような記憶があります。
当時、よく言われた言葉で、今まで聞いたことないわ、って言葉は、
下血、吐血、まあ、血圧は当時から知っていたけれど。
下血ってのは、まだ、大丈夫だという感じだったけど、吐血となると、「えっ、口から血を吐いたんかいな、大丈夫かいな」って思ったことを思い出します。
実は、私は以前、彦根市役所に勤めていて、当時は当直制度というものがありました。
管理職以外の職員が交代で、市役所の当直室に泊まり込み、夜間にやってくる婚姻届や死亡届の受領、あと、旅行者(旅行者という言葉だとわからないと思いますが、無宿の人)がやってきたら、次の駅までのお金として、確か、100円だったか、200円だったかをわたすという仕事をやっていました。
昭和64年1月6日が、わたしの市役所の当直の日で、翌朝、1月7日に当直室でテレビを見ながら、あれま、亡くなっちゃったよ、って思って、いったいどうなるんだろう、って心配になったことも覚えています。
まあ、当日、1月7日が終わるまでは昭和だったので、翌日から平成になるって決まったのが、昼ごろだったか、夕刻だったかの記憶はありませんが、なんだか記念すべき日に宿直したんだなあ、って今でも覚えています。
昭和天皇が病気になって、もうやばい状態になってから、テレビのコマーシャルも変わりましたね。
ニッサン、セフィーロのコマーシャルをやっていた井上陽水さんの、「お元気ですか」がなくなりましたし、あと、亡くなった日は、テレビのすべての番組が特別番組に切り替わり、昭和天皇の出生からのいろいろな情報をだすだけの番組にかわりました。
お笑いやバラエティーはもちろん、CMもすべてなくなりました。さすがに、あまりにも数多く、その手の番組をやっているので、視聴者もいやになり、当日、そして、その後数日間は、レンタルビデオショップが大賑わいだったことを記憶しています。
そういう僕も、何を借りたか忘れましたが、なにかのビデオをレンタルした記憶があります。
バラエティーもなし、CMもなし、テレビを見れば、みんな黒服で昭和天皇の過去を振り返る番組なんて誰も見たいなんて思わないからな。
そう考えると、今後、上皇となる現在の天皇が死んだとき、あと、5月以降天皇となる、現在の皇太子が死んだときは、テレビ局はどういう体制をとるのでしょうかね。
テレビ局も、さすがに、お笑いやバラエティーはできないだろうから、昭和天皇の時と同じような感じになるのだろうけど、じゃあ、それをみたくない人はどうするのかな。
当時は、レンタルビデオショップがあったけど、いや、もちろん今でもあるけど、今は、普通に考えればネット配信ってことになる。
ネット配信業者が、天皇の死亡により、ネット配信すらもやめるのか、あるいは、これをチャンスとしてめいっぱい出し続けるのかは不明です。
まあ、昭和天皇の時のようなことはないだろう、とは思いますが、世の中、どういうことになるかはわかりませんしね。